野田について

毎月院長ブログを見ていただいてありがとうございます。

21年3月は現在の診療所のある野田についてお話します。

野田は福島区の西側に存在し、以前あった診療所は福島区東端にありました。

以前の診療所の、東側の道を一本隔てれば大阪市北区でした。そのため診療所には、梅田から歩いてきましたという患者さんも時々いらっしゃいました。現在の診療所の住所は福島区大開1丁目で、阪神野田駅から歩いてすぐのところで、阪神野田駅は梅田からは福島駅の次の駅で、梅田から二番目の駅であります。駅から歩いて近いので、梅田から診療所までは以前の診療所よりは時間的に早く来ることができます。

まず野田藤(ふじ)についてご紹介します。

大阪・福島区の区の花に制定されている野田藤は、福島区内にはたくさんの藤見スポットがあり、桜の見頃が終わった、4月の中旬から5月上旬までにかけて、区内各所で藤の花が咲き誇ります。藤は、その美しさから「吉野の桜」「高雄の紅葉」に並び称され、その昔、豊臣秀吉が福島を訪れ、江戸時代には全国的な知名度を誇るほどになりました。その後は、空襲や公害などで野田藤はほとんどなくなってしまいましたが、現在は区民による活動により区内各所で藤の花が咲き誇るまでになりました。2024年に発行される新五千円札の図柄には「のだふじ」が採用されました。表の肖像は女性教育に業績のあった津田 梅子です。福島区では毎年4月、「のだふじ」まつりが開催され,私も野田への移転前の2017年春に一度訪問しました。季節になれば野田阪神駅前の藤棚にはたくさんの人が足を止め、美しい「のだふじ」を楽しんでいます。駅前の「ウイステ」は英語のwisteria「藤」から付けられた名前です。

なにわの出世街道について

阪神野田駅前の野田阪神本通商店街の入り口には、「松下幸之助創業の地記念碑」の看板が掲げられています。野田阪神は、あの松下幸之助創業の地であり、当院の面するこの商店街は、松下幸之助にちなんで「なにわの出世街道」と言うキャッチコピーがついています。松下幸之助創業の地記念碑が当院の西250mある大開公園に「道」と言う直筆の石碑があります。2018年はパナソニック創業100周年とのことで、パナソニックの社員の人もわざわざ公園の石碑や創業の地を見に来たそうです。大正7年(1918)、松下幸之助は東成区猪飼野から大開へ引っ越して、松下電気器具製作所を創立しました。昭和4年(1929)に松下電器製作所に改称、やがて月産10万台のランプ工場に発展させ、昭和8年(1933)には門真に工場を移転しました。現在世界のパナソニックになっています。

地獄谷について

最後に野田の飲食店は昭和のレトロな感じのお店が多いのですが、その中でも野田地獄谷と呼ばれる狭いエリアがあります。最近ではテレビ等のメディアでも取り上げられ、少しずつ知られる存在になってきました。まず名前の由来ですが、戦後の闇市がその場所にあって魑魅魍魎が住み危険な場所と言うことで地獄谷という名前がついたと言う説と、路地が入り組んでいて酔っ払うと出てこれないことからつけられたと言う説等、諸説あるようです。

場所は、阪神野田駅からJR環状線野田駅に向かう新橋筋商店街と言うアーケードのある商店街に入ってしばらくして、右に入る非常に細い路地があります。それが入り口です。人1人しか歩けませんが、少し進むともう少し広くなっています。他にももう少し広い入り口はあります。地獄谷のあたりはスナックと呼ばれる小さな昭和の飲み屋さんがたくさん並んでいますが、その中には若い店主が新たに店を構えたところもあります。以前当院のある会の2次会で行ったことがあるのが「地獄谷冥土バー」でジントニックがすっきりした味でとてもおいしいお店でした。手すりのない急な階段を2階にあがると、実物大の人体骨格標本(ガイコツ)が置いてありました。現在のコロナ禍では行けないのが残念です。

大阪ブレストクリニック 院長 芝 英一 【認定資格】 大阪大学医学博士 日本外科学会認定医、専門医、指導医 日本乳癌学会専門医・指導医 NPO法人日本乳がん検診精度管理中央機構認定読影医 日本内分泌・甲状腺外科専門医